人生真ん中あたり

長い人生、今がちょうど真ん中あたり。

生きるとか死ぬとか父親とか

ジェーンスーさんの最新刊。
私小説・・・いや、私エッセイ?

私が父について書こうと決めたのには、理由がある―。20年前に母を亡くし、気づけば父は80歳、娘は40代半ば。一時は絶縁寸前までいったけれど、いま父の人生を聞いておかなければ、一生後悔する。父と娘をやり直すのは、これが最後のチャンスかもしれない―。父への愛憎と家族の裏表を描く、普遍にして特別な物語。(Amazonより)


これまで書かれてきた「東京在住独身女性」「未婚のプロ面白話」のエッセイとは、全く趣の違う作品です。


母を亡くし、その時に「母の、母である部分」しか知らずに終えたことを、後悔していた著者。その経験から、父親の「父以外の部分」を知りたい・・・と思い、書かれた本です。


けして心ほっこり和む、やさしい物語ではありません。
どちらかと言うと、ごつごつとした粗削りの岩同士が、ぶつかり合って、お互いの形を少しだけ変えていく様子を書いたような・・・。


この手の本は、普段エッセイを執筆している人にとっても、なかなか書きにくい内容だろうなあ・・・。あまりにも、赤裸々で、書くのも苦しそう。


ただ、エッセイを生業としている人は、必ず1度は、親と自分の関係を主題とした本を書いているような気がします。


それだけ普遍的な・・・そして、需要のあるテーマなのかもしれません。


親子関係の本は、実は、なるべく避けている私^^;


私自身の親との関係が、上手く行かないまま、ほったらかしにされている・・・という理由です。


ジェーンスーさんと、ほぼ同年代の私は、親もおそらく、ほぼ同年代。
「後がない」と、焦るべき年代だと思います。


しかし一方で、「血がつながっている」という理由だけで、本質的に合わない同士が、無理をして付き合っていく必要があるのかな・・・という疑問も感じてしまいます。


この年齢になると、お互いのこれからの為に自分を変えていこう・・・という意欲はなく、「そのまま変わらない相手を、受け入れられるかどうか」にかかってくる気がします。


特に、親子関係において、子供からすると、あれこれ過去の記憶もフラッシュバックして、なかなかスムーズに「全てを受け入れる」って境地には至らないのではないかな・・?
(この辺は、私の心が特に狭いから、かもしれません)


そして、私はもうすでに別世帯を持って生活しているため、親と会わないで過ごそうと思えば、何年でも、過ごす事ができる訳で・・・。


わざわざ出かけて行って、何の為かわからない「親子関係の修復」を、する必要もない訳で。


人生、半分くらいまで来ると、何事においても、無理はしなくて良いんじゃないかなあ・・・という気持ちが、大きくなってきます。


そしてその結果、親の死後、後悔する事があったとしても(たぶんするでしょうが)、仕方のない事だと思っています。


寂しい話^^;


本の中で、ジェーンスーさんは、あれこれを乗り越え、何年もかけて、父親と今の形を作り上げました。


途中で、ホントに縁を切る!・・と思った事も、1度や2度ではないでしょう。そのくらい、破天荒なお父様だった様子。


そして、彼女が父親を受け入れるようになった過程には、きっと父親が「老いた」という事が、大きな要素になっていたと思います。


老いる、という事は大きい。


子供はいずれ絶対的な強者になります。
その時、色々な事を許したり、目を閉じたり、する事ができるようになるのかもしれません。


「面白い」という意味では、彼女の他のエッセイの方が、ダントツに面白いです。


しかし、この本は・・・


じわり・・・と来るんですよ。なかなかおすすめ^^

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